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新婚なのに、夫がいない。「自由でいいね」という友人の言葉に、私は引きつった笑顔で頷くしかなかった

結婚指輪が、やけに冷たく感じる夜がある。

深夜2時。

本来なら、隣に愛する人の体温があり、安らかな寝息が聞こえているはずの時間だ。

けれど、私の目の前に広がっているのは、綺麗に整えられすぎた、冷たいシーツの「余白」だけ。

「新婚さんはいちゃいちゃできていいね」

昨日、会社の同僚に言われた無邪気な一言が、頭の中で何度もリフレインする。

私は曖昧に笑って、「まあね」と答えた。

嘘ではない。でも、真実でもない。

私たちは、婚姻届を出してわずか3ヶ月で「単身赴任」という現実に引き裂かれた。

東京と大阪。新幹線の距離が、これほどまでに心の距離を狂わせるとは、あの時の私はまだ知らなかった。

これは、新婚生活という「夢」の絶頂から、孤独という「沼」に突き落とされた私が、泥だらけになりながら「自分だけの幸せ」を見つけるまでの、誰にも言えなかった記録だ。

目次

理想の妻を演じる「仮面」の下で

待ちわびた週末、崩れ去る期待

金曜日の夜。それが私にとっての「開演」の合図だった。

夫が帰ってくる週末だけが、私が「妻」でいられる時間。

「お帰りなさい!ご飯できてるよ」

「掃除も洗濯も全部終わってるから、ゆっくりしてね」

久しぶりに会う夫に、完璧な妻だと思われたかった。

疲れている彼を癒やしてあげたい。

「やっぱり家が一番だな」と言わせたい。

そんな健気な思いで、私は平日から献立を練り、部屋を磨き上げていた。

けれど、現実は甘くない。

帰宅した夫は、確かに笑顔を見せてくれるけれど、その目には隠しきれない疲労が滲んでいる。

「ごめん、ちょっとだけ寝かせて」

そう言ってソファに沈み込む夫。

作りたてのハンバーグから湯気が消えていくのを眺めながら、私は小さく「うん、いいよ」と呟く。

テレビの音だけが響くリビング。

(疲れてるんだから仕方ない。私は専業主婦でもないし、共働きだけど、今は彼の方が大変なんだから)

そう自分に言い聞かせる。

でも、私の心の中のリトル・ブラック・デビルが囁くのだ。

『ねえ、私、なんのために今週一週間、独りで耐えてきたの?』

『家政婦代わり? それとも、ただの同居人?』

「自由でいいね」という残酷なナイフ

友人とランチに行けば、決まって言われる言葉がある。

「旦那さんいないなんて、実質独身みたいなもんじゃん!自由で最高だね」

「ご飯も適当でいいし、飲みに行っても文句言われないし、羨ましい〜」

悪気がないのは分かっている。

育児に追われる友人からすれば、私の生活は優雅に見えるのかもしれない。

でも、その言葉は鋭利なナイフのように私の胸をえぐった。

「自由」?

違う。これは「放置」だ。

結婚しているのに、頼れる人がそばにいない。

電球が切れた時も、ゴキブリが出た時も、風邪で高熱が出た時も、全部ひとりで何とかしなければならない。

それなのに、「既婚者」というタグだけは付いているから、合コンに行くわけにもいかないし、異性と二人で会うのも気が引ける。

私は、手枷足枷をつけられたまま、独房に放置されている囚人のようだ。

そう思った瞬間、友人たちの前で笑顔を保つのが限界になった。

トイレに立ち、個室の中で声を殺して泣いた。

疑心暗鬼という名の「毒」

既読スルーが招く妄想の劇場

離れて暮らす私たちにとって、LINEとビデオ通話が唯一の命綱だ。

しかし、その命綱すらも、私の首を絞めるロープへと変わっていった。

「今日、飲み会になったから遅くなる」

そう連絡が来てから、5時間。

時計は深夜1時を回っている。

普段なら「了解、楽しんできてね」と返せるはずなのに、深夜の静寂が理性を蝕んでいく。

(誰と飲んでるの? 女の人はいるの?)

(大阪って、可愛い子多そうだし…)

(まさか、独身のふりして遊んでないよね?)

一度芽生えた疑念は、黒カビのように心全体に広がっていく。

Instagramで「#大阪グルメ」と検索し、夫が行きそうな店を探す。

夫のSNSのフォロワー欄をチェックし、最近増えた女性がいないか目を皿のようにして探る。

自分がひどく惨めで、醜い人間に思えた。

「私、まるでストーカーみたい」

スマホのブルーライトに照らされた自分の顔が、鏡に映る。

眉間にシワを寄せ、充血した目で画面を睨みつける女。

これが、数ヶ月前にウェディングドレスを着て幸せそうに微笑んでいた私?

「もう、嫌だ…」

スマホをベッドに投げ出し、枕に顔を埋める。

信じたいのに、信じられない。

愛されている自信がない。

物理的な距離は、いつしか心の距離となり、信頼という地盤を音を立てて崩していった。

「仕事なんだから仕方ない」という免罪符

ある週末、夫が帰ってこれなくなった。

「ごめん、トラブル対応で出社しなきゃいけなくて」

頭では分かっている。仕事だから仕方ない。

彼は家族のために働いてくれている。

でも、感情が追いつかない。

「私より仕事が大事なの?」

そんな陳腐なセリフを吐きそうになるのを、必死で飲み込んだ。

電話口で、私は努めて明るい声を出した。

「そっか、大変だね。無理しないでね」

電話を切った瞬間、部屋の空気が一気に重くなる。

用意していた食材、予約していたレストラン、そして何より、彼に会えるという希望。

すべてがゴミ箱行きになった。

私はキッチンに座り込み、冷たい床の感触を背中に感じながら、ぼんやりと天井を見上げた。

冷蔵庫のブーンという低い唸り声だけが聞こえる。

『ねえ、私たち、結婚する意味あったのかな』

その問いかけは、誰にも届くことなく、換気扇の音に吸い込まれて消えた。

崩壊、そしてどん底での気づき

ビデオ通話越しの修羅場

限界は、突然訪れた。

ある夜のビデオ通話。夫が何気なく言った一言が、私の導火線に火をつけた。

「今日さ、久しぶりに同期と飲んでリフレッシュできたよ。そっちはどうだった?」

リフレッシュ?

私はこの一週間、あなたの帰りを待つためだけに、残業も断り、付き合いも減らし、ただただ「いい子」にして待っていたのに?

あなたは向こうで、楽しくやってるんだ。

「…いいよね、あなたは楽しそうで」

口から出た言葉は、冷たく鋭い棘を持っていた。

「え? 何だよ急に。俺だって仕事の付き合いがあるんだよ」

夫の表情が曇る。

「付き合いならいいじゃない。こっちはね、毎日毎日、誰とも喋らずにこの広い部屋でポツンとしてるの! あなたがいつか帰ってくるかもって、それだけを楽しみにして!」

「だったらそっちも遊べばいいじゃん。俺は止めてないよ」

「そういう問題じゃないの! 分かってない! 何も分かってない!!」

私はスマホに向かって叫び、通話を強制終了した。

画面が暗転し、自分の泣き顔が映る。

最悪だ。

癒やしの存在になりたかったのに、これじゃただのヒステリックな妻だ。

もう、嫌われるかもしれない。

いっそ、離婚した方が楽になれるのかもしれない。

「私の人生」はどこへ行った?

その夜は一睡もできなかった。

泣き疲れて腫れぼったい目のまま、翌朝、私はあることに気がついた。

私は今まで、**「夫のために」**生きていた。

夫が帰ってくる日のために掃除をし、夫の健康のために料理を覚え、夫に嫌われないために我慢をしていた。

私の人生の主役はいつの間にか「夫」になり、私はその「脇役」か「待ち人」に成り下がっていたのだ。

待つだけの人生なんて、つまらない。

彼がいなければ幸せになれない私なんて、魅力的じゃない。

『もしも、私が独身だったら、今の時間をどう使う?』

ふと、そんな「たられば」が頭をよぎった。

きっと、行きたかった資格学校に通っていただろう。

気になっていた高い入浴剤を買って、長風呂を楽しんでいただろう。

休日は映画館をハシゴしていただろう。

「…やろう。全部、やってやろう」

底の底まで落ち込んだ感情が、ふつふつと奇妙なエネルギーに変わっていくのを感じた。

これは「開き直り」に近いかもしれない。

でも、今の私にはその開き直りが必要だった。

再生へのプロローグ

「待つ女」の卒業宣言

その日から、私は「夫中心」の生活を辞めた。

まず手始めに、週末の予定を夫に確認するのを辞めた。

「今週末は友達と旅行に行くから、家にはいないよ。もし帰ってくるなら、鍵あるから勝手に入ってね」

夫にそうLINEを送った時の、送信ボタンを押す指の震え。

少しの罪悪感と、それ以上の高揚感。

夫からの返信は意外なものだった。

「お、いいね!楽しんできて。俺もたまには溜まった洗濯物片付けるよ」

拍子抜けした。

私が勝手に「待っていなきゃいけない」と思い込んでいただけだったのかもしれない。

私は、以前から興味のあったWEBデザインの勉強を始めた。

夜、シーンと静まり返った部屋は、勉強するには最高の環境だった。

寂しさが襲ってきそうな時は、好きな音楽を大音量で流して、歌いながら課題をこなした。

寂しさが消えたわけではない。

ふとした瞬間に、猛烈な孤独に襲われる夜はまだある。

でも、以前のように「夫のせい」にして泣くことはなくなった。

「私は私で、人生を楽しんでいる」

そう胸を張って言えるようになった時、夫との関係にも変化が現れた。

「個」として向き合う夫婦の形

久しぶりに夫が帰ってきた週末。

私は完璧な手料理ではなく、デパ地下で買った美味しそうな惣菜を並べた。

「ごめんね、今日は勉強が忙しくて作れなかった」

そう言うと、夫は笑って言った。

「全然いいよ。それより、最近生き生きしてるね。なんか楽しそうだ」

その言葉を聞いた時、肩の荷が完全に降りた気がした。

彼は「家政婦」を求めていたわけじゃなかった。

「パートナー」である私が、笑顔でいることを望んでいたのだ。

私たちは、ワイングラスを傾けながら、お互いの「一人の時間」について語り合った。

離れているからこそ、話せることがある。

会えない時間があるからこそ、会える喜びがある。

これは負け惜しみではない。

私たちは、**「依存し合う関係」から「自立して支え合う関係」**へと進化するための、痛みを伴う脱皮をしていたのだと思う。


離れていても、心は繋がれる

今、画面の向こうで孤独に震えているあなたへ。

寂しいと言っていい。

泣きたい時は、声を出して泣けばいい。

でも、どうか自分を責めないでほしい。

そして、夫を責めるエネルギーを、ほんの少しだけ「自分のため」に使ってみてほしい。

単身赴任は、神様がくれた「強制的な自分磨き期間」かもしれない。

そう思えるようになった時、冷え切っていたベッドの余白は、あなたが自由に羽を伸ばすための「翼」になるはずだ。

次に彼に会う時、最高の笑顔で「久しぶり!」と言えるように。

まずは今夜、自分のためだけに、最高に美味しい紅茶を淹れてみませんか?



編集後記:データで見る「単身赴任」のリアル

本文では私の体験を通したストーリーをお伝えしましたが、ここでは客観的なデータを用いて、この悩みが決して「あなただけのものではない」ということを補足します。

1. 新婚時期は「離婚リスク」が最も高い

厚生労働省の「人口動態統計」等のデータによると、同居期間別の離婚率は「5年未満」が全体の約30%を占めており、最も高い割合となっています。

特に、結婚直後の環境変化(単身赴任など)は、夫婦の信頼関係構築における大きな障壁となり得ます。あなたの不安は、統計的にも「危機的状況」にある正常な反応なのです。

2. 単身赴任妻の「心理的負担」

ある調査研究(応用心理学研究等参照)によると、単身赴任は夫自身のストレスもさることながら、残された妻(特に子育て期や新婚期)に対して、「喪失感」「役割の過重負担」「孤独感」といった深刻な精神的影響を与えることが指摘されています。

「夫は仕事で大変なんだから」と我慢しがちですが、「取り残された側のストレス」は「送り出された側」とは全く質の異なる、非常に重いものであると認識されています。

3. コミュニケーションの質が鍵

離婚に至るケースの多くは、物理的な距離そのものよりも、「心理的なすれ違い」や「コミュニケーション不足」が原因です。

記事内で触れたように、「ただ待つ」のではなく「自分の生活を充実させる」ことは、結果的に夫への過度な依存や執着を減らし、夫婦関係を良好に保つための有効な防衛策(コーピング)となります。

あなたは一人ではありません。

この期間を「二人の絆を試す試練」ではなく、「お互いが個として強くなるための準備期間」と捉え直すことが、解決への第一歩となるでしょう。

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