「ごめんね、ママ、しばらくお家にいられないの」。
その言葉を、当時まだ幼稚園児だった二人の娘に告げた日のことは、今でも鮮明に覚えています。大手企業でキャリアを築いてきた私にとって、地方への転勤は避けて通れない道でした。夫は快く「俺が育てるから大丈夫」と言ってくれましたが、私の胸には言い知れない不安が渦巻いていました。
特に、娘たちがこれから迎える思春期。心も体も大きく変化する多感な時期に、母親である私がそばにいないことが、どれほどのマイナス影響を与えるのだろうか。漠然とした恐れが、私の心を締め付けました。同じ境遇のママたちは、一体どうやってこの不安と向き合い、乗り越えてきたのだろうか。私は必死で情報を探し始めました。
「表面上の絆」が引き起こした、娘たちの心のサイン
単身赴任が始まってすぐの頃、私は娘たちとの物理的な距離を埋めるため、あらゆる手を尽くしました。毎晩のビデオ通話、週末の帰省、可愛い手紙やプレゼント。最初は「ママ! ママ!」と画面越しに飛びついてきてくれた娘たちも、日が経つにつれて、少しずつ変化を見せ始めました。
ビデオ通話では、以前ほど積極的に話さなくなり、私が話しかけても「うん」「そう」と短く答えるばかり。週末に帰省しても、以前のように抱きついてくることはなく、どこかよそよそしい雰囲気が漂っていました。長女が幼稚園で描いた家族の絵には、なぜか私の姿だけが小さく、隅に描かれていたこともありました。
「私、間違っていたのかもしれない…この選択は本当に娘たちのためだったのか? 画面越しの笑顔が、なぜか遠く感じる。私がいなくて、この子たちは本当に大丈夫なんだろうか。特に、これから思春期を迎えるのに、心の支えになれないなんて…。もう、どうすればいいか分からない…」
あの時の、胸をえぐられるような自己嫌悪と焦燥感は、今でも忘れることができません。娘たちの心の奥底にある寂しさや不安に、私は全く気づいていなかったのです。「形だけ」の交流では、大切な心の絆は育めない。その厳しい現実を突きつけられました。
家族の「地下水脈」を育む、見えない絆の再構築
このままではいけないと強く感じた私は、ある日、夫と真剣に話し合いました。そして、表面的な接触を増やすのではなく、「家族の心の地下水脈」を育むような、もっと深く、質の高いコミュニケーションを意識するようになったのです。
夫との連携を「心のバトン」に
まず、夫との連携を徹底しました。毎晩、娘たちが寝た後に電話で夫と話す時間を設け、その日の出来事だけでなく、娘たちの表情や言動、小さな変化を細かく共有してもらいました。「今日は〇〇ちゃんが幼稚園でこんなことがあったよ」「△△ちゃんが少し元気がないように見えた」といった些細な情報が、離れていても娘たちの心に寄り添うための大切な手がかりになりました。夫は娘たちの「今」を伝える心のバトン役となり、私はそのバトンを受け取って、娘たちへのメッセージや行動に反映させました。これにより、夫も「自分も育児の中心を担っている」という意識が強くなり、娘たちも父親に心を開くようになりました。
「〇〇ちゃんの時間」で心を通わせる
次に、ビデオ通話のやり方を変えました。以前は家族全員で「今日は何があった?」と聞く一方的な質問タイムになりがちでしたが、それを「〇〇ちゃんの時間」と名付け、一人ひとりの娘とじっくり話す時間を作りました。
長女には、絵本を読み聞かせたり、一緒に絵を描いたりする時間。次女には、お気に入りのぬいぐるみを見せてもらったり、歌を歌ってあげたりする時間。たとえ10分でも、その時間は「ママが私だけを見てくれている」と感じられるような、特別な時間になるよう心がけました。画面越しでも、目と目を合わせて、笑顔で「大好きだよ」と伝えること。この積み重ねが、娘たちの心の安定に繋がっていきました。
「サプライズの種」を蒔き続ける
そして、定期的な「サプライズの種」を蒔き続けました。これは高価なプレゼントではなく、例えば、娘たちが好きなキャラクターのシールを貼った手紙を突然送ったり、夫経由で「ママからの秘密のおやつ」を届けたりするものです。「ママは遠くにいても、いつも私たちのことを考えてくれている」という安心感と喜びを、日常の中で感じてもらうことを大切にしました。特に思春期に入ると、親の言葉よりも、こうした「行動」で示される愛情の方が、強く心に響くようになります。
距離は「絆を深めるスパイス」だった
これらの工夫を続けるうち、娘たちの表情は再び明るさを取り戻しました。思春期に差し掛かった長女は、以前より自分の感情を素直に話してくれるようになり、「ママ、今度帰ってきたら、二人でカフェに行こうよ」と、具体的な約束をしてくれることも増えました。物理的な距離があるからこそ、私たちはより深く、質の高いコミュニケーションを模索し、実践することができたのです。
単身赴任は、決して楽な道ではありません。しかし、それは家族の絆を再構築し、より強く、しなやかにする「スパイス」になり得ると、私は今、確信しています。「母親がいない」のではなく、「家族全員で新しい親の形を創造する」という意識こそが、この挑戦を乗り越える鍵だったのです。離れていても心は繋がる。その揺るぎない確信が、私たち家族の新しい力となりました。
